【過去の振り返り】初サブ3まで【その4】

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過去の振り返り
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前回は初サブ3.5までを振り返りました

今回は初サブ3.5達成後から初サブ3となった板橋Cityマラソン2013(2013.03.23)までを振り返っていきます。期間としては2012年の11月から2013年3月までの5ヶ月ですね。私のラン歴全体に関しては以下の記事を参照して下さい。

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サブ3時間10分へ

2012年10月に初サブ3.5を達成し、その2週間後の湘南国際マラソンにエントリしていました。前年の湘南国際マラソンで初マラソンを経験し痛い思いをした地ですが、あれから1年経ちランニング知識も増え、練習の質量ともに上げていたのでいい走りができると自分に期待していました。

アクララインマラソンの1週間後、つまり湘南国際マラソンの1週間前に30km走をして、 4’37″/kmくらいで走れたので、本番では3時間15分を目標にしました。

なお当時20代半ばでしたのでリカバリ能力はかなり高かったです。今ではすっかり衰えて当時のようにマラソン→30km走→マラソンなんてスケジュールはまず無理です。

そして迎えた湘南国際マラソン当日。前半から4’30″/kmくらいで気持ちよく刻めて後半も落ちることなく、前年に立ち止まってしまった35kmを通過。脚はまだまだ動くのでこのあたりで3時間15分切りは確信していたと思います。

残り5kmでふと3時間10分切りの可能性を計算をすると、残りキロ4分20秒切っていけば切れそうだとわかりました。 当時の実力からしたら諦めてもおかしくないと感じるペースですが、この日は絶好調でなぜかイケると判断し、かなり頑張った記憶があります。以下リザルト。

スプリットタイムラップタイム
Start00:03’08”
5km00:26’16”0:23’08″(4’38″/km)
10km00:48’48”0:22’32″(4’30″/km)
15km01:11’31”0:22’43″(4’33″/km)
20km01:34’04”0:22’33″(4’31″/km)
25km01:56’41”0:22’37″(4’31″/km)
30km02:19’22”0:22’41″(4’32″/km)
35km02:41’56”0:22’34″(4’31″/km)
40km03:03’35”0:21’39″(4’20″/km)
Finish03:12’37″(ネット3:09’29”)0:09’02″(4’07″/km)

当初考えてもいなかったネットで3時間10分切りという結果でした。Cブロックスタートでしたが、周りはAかBばかりで、Cブロックで2番目のゴールと言われたのを覚えています。このレースは今でも私の走ったレースの中で5本の指に入るレースかと思います。この結果から、1年前はサブ4すら出来なかった私には想像も及ばなかったサブ3という目標がうっすらと見えてきました。

サブ3に向けた練習

湘南国際マラソン後に体調を崩して1週間ほど休み再始動。サブ3を狙うレースとして4ヶ月後の板橋Cityマラソン2013にエントリしました。サブ3に向けてはまずハーフで90分切れないと話にならない(当たり前)ので、練習でハーフTTを実施。 結果は89分台でギリギリ切れましたが、とてもフルを走るようなペースではなく、かなり苦しかったです。

というわけでスピードの底上げが急務となり、以下のような練習スケジュールを組みました。

  • 月:ジョグ14km(5’00″/km)
  • 火:インターバル走1km x6(3’55″/km→3’45″/km)
  • 水:ジョグ14km(5’00″/km)
  • 木:インターバル走1km x6(3’55″/km→3’45″/km)
  • 金:休足
  • 土:30km~35km走(4’30″/km→4’15″/km)
  • 日:ジョグ14km(5’00″/km)

週にインターバル2回、30km走1回で月間走行距離は350kmという今考えれば無茶な練習。インターバルも以前のように適当にやるわけではなくて、きっちり河川敷で距離を設定して1km x5,6本という設定でやっていました。当時はダニエルズ式インターバルも知らなかったので、日本では一般的と思われる90秒レストとかでやっていました。テンポ走も当然知りませんでした。

この練習はハードでしたが、ちょうど仕事が忙しくない時期でむしろ残業が規制されており独身だったので練習時間はいくらでも取れました。

さて、この設定で徐々にスピードはついてきて、1kmインターバルを3’45″/km前後、30km走のペースも4’30″/kmから徐々に上げていき4’20″/kmを切れるくらいまでいけるようになりました。ただそれまでの練習から質も量も急激に上げたため、膝や足首あたりに無理が出てきました。特に足首の故障が長引き、12月末から1月末まで1ヶ月近く走れず落ち込みました。今考えれば当時は体を絞ることだけしか考えておらず、夕飯に豆腐そうめんとサラダとプロテインのみとかいうアホみたいな食生活をしていたので栄養が全然足らなかったと思います。

当時53kg前後、今57kg前後@173cm

復帰してからは徐々に上げていき、途中で1週間くらいの軽い肉離れはありましたが3月下旬のレースにはなんとか間に合いました。最終的には単独で4’15″/kmの35km走ができていたため、スタートラインに立った段階でサブ3の自信はありました。

レース状況

前年に引き続きこの年も風がほとんどなくいいコンディションだったと思います。まずはリザルトからどうぞ。

スプリットタイムラップタイム
Start00:01’22”
5km00:23’20”0:21’58″(4’23″/km)
10km00:44’01”0:20’41″(4’08″/km)
15km01:04’49”0:20’48″(4’09″/km)
20km01:25’41”0:20’52″(4’10″/km)
21.0975km01:30’13”
25km01:46’51”0:21’10″(4’14″/km)
30km02:08’18”0:21’27″(4’17″/km)
35km02:29’30”0:21’12″(4’14″/km)
40km02:50’28”0:20’58″(4’11″/km)
Finish02:59’04″(ネット2:57’42”)0:08’36″(3’55″/km)

スタートは一般エリアから。1’22″のスタートロスと、陸連エリアの遅い人達の混雑もあり、最初の5kmは4’23″/kmとサブ3ペースからはかなりビハインド。ただ慌てることなく4’10″/km前後でハーフまで巡航し、ハーフはグロスで90分をややオーバーするタイムでした。。

後半は30kmまでやや垂れてしまいますが、30km以降は徐々に上げていき、ネットタイムでのサブ3達成は確信。グロスタイムについても狙っていましたが、37kmあたりで沿道の方から「サブ3いけるぞ」の声があり、改めて計算してみたらいけそう。最後2kmは当時のインターバルペースに近いのでかなりがんばったでしょうか。結果、グロス02:59’04″(ネット2:57’42”) で初サブ3を達成しました。

ちなみにネットタイムだと前半ハーフ1’28’51″、後半ハーフ 1’28’51” と全くのイーブンでした。実際まったくイーブンだったわけではなくて、入りの5kmが遅かったのと後半はやや落ちた分が相殺された感じでしょうか。

当時はぼっちだったのでサブ3を達成しても報告する相手もいなければ打ち上げもなく、帰宅準備。着替えテントの中でこのレースで福岡国際マラソンB資格を獲った人達(当時2時間42分)の話が聞こえましたが、次元が違うなという感じで自分には縁がないものだとその時は感じたのを覚えています。

初サブ3の感動を共有できる相手もいませんでしたが、帰宅中は充実感に溢れていました。ただ、これ以上の記録を求めると今より更に練習量と質を上げなければならないという現実があり、それをやって何になるんだという思いからモチベーションが徐々に薄れていくのを感じました。

その後、再度サブ3とPBを更新するまで2年、さらにモチベーションが回復してサブ50を達成する2015年11月まで2年半以上の歳月が流れることになります。

つづく・・・

【過去の振り返り】初サブ50まで【その5】
初サブ3から初サブ50までの苦しかった頃を振り返ります。
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ごっきー
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